沖縄旅行 3日目前半 (4月5日) 「沖縄の光と影」


とうとう沖縄旅行も最終日。
朝はさわやかに目覚めたと言いたいところだが
前夜、今日の予定をあ〜でもない、こーでもないと
深夜の3時ごろまで悩んでいたのでかなりの寝不足でした(==)
今日は飛行機の時間までいっぱい遊びたかったので6時に起きて
ホテルの朝食を食べに部屋をでた。
ところが、今日はお客さんがいっぱい!
みんな早起きなんだね・・・(^^AA
どこかの旅行好き老夫婦たちのテーブルに相席させていただいた。

かるく朝食を済ませて9時前にホテルをチェックアウト。
車に乗り込みカーナビを「ひめゆりの塔」にセットした。
沖縄に行ったことの無い人でも名前は知ってますよね?
到着予定時刻は9時半。

朝の街中を走っていてあることに気がつきました。
それは・・・沖縄のサラリーマンは
原付に乗って出勤する人がすっごく多いということ!
サラリーマンだけじゃなくて、原付に乗ってる人が多い。
沖縄ならではですね〜
しばらく街中を走っていて面白い看板が目に入った。

「宴会に・パーティーに 豚の丸焼き 本土へのおみやげにも」


だって・・・
とても持って帰れませんとです・・・・
(笑)


ほどなくしてひめゆりの塔へ到着。
朝早いというのに団体観光客がいっぱい来ていてびっくり。
もっと静かな雰囲気のイメージを持っていたので。



これが ひめゆりの塔 塔の前には女生徒たちが身を隠した壕(穴)があります。

ひめゆりの塔とは

沖縄県立師範学校女子部と沖縄県立第1高等女学校の生徒達によって
看護部隊として編成された「ひめゆり学徒隊」を慰霊する塔です。
今でも多くの人たちが祈りを捧げていきます。




隣にはひめゆり平和祈念資料館があるので入ってみた。
中には当時の戦争のビデオ、写真、戦争の遺物などが展示されている。

ひめゆり学徒隊は後送されてくる負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、死体埋葬
に追われながらも懸命に働いた。
しかし、1945年6月18日。
学徒たちは突然の「解散命令」に絶望し、米軍が包囲する戦場を逃げ惑い、
ある者は砲弾で、ある者はガス弾で、
そしてある者は自らの手榴弾で命を失いました。
陸軍病院に動員された教師・学徒240人中136人、
在地部隊その他で90人が亡くなりました。

米軍の撮影したビデオには人間がごみのように扱われる映像があり
かなりの衝撃を受けました。
しかし、一番僕の心に響いたのは生き残った方の回顧録である。
負傷兵に蛆がわく話や脳傷で発狂してしまう兵士の話などは
聞いていてつらくなり涙があふれ出そうになってしまいました。

沖縄は日本で唯一陸上戦が行われた地。
戦死者は十数万人に上ります。
観光地としての沖縄のこういう部分も見ておいてよかったと思いました。




つづく


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