中国地方一人旅 8/23 8/24 松江市内観光


宍道湖の夕日が沈み、感動を噛みしめながらどこかで食事するために町へ向かって歩いた。

実は今回の旅で困ったことが2つあります。

一つは食事。
これまでの僕の一人旅はあまり宿に泊まらず好きなところに車で移動していたので
どこで何を食べるのかある程度決めていた。
なので、食事してから寝る場所(車を停める場所)を探せば良かったのですが、
今回の一人旅は3泊ホテルに泊まりました。
(今年は仕事が本当に忙しくてものすごく疲れているのでのびのびと寝たいと思ったからです)
そのためホテルにチェックインしてからどこかで何かを食べようと歩いて外出しました。
しかし、、これが食事で困ることに・・・
どこにどんなお店があるのかぜんぜんわからず、ただひたすらさまよってしまうことになってしましました・・・

もう一つは22日の深夜から腰痛が再発したこと(^^A
なぜだかわからないのですが突然腰が痛くなりました。
これもあって、ホテルに泊まりました。
でも、あらかじめ、電気治療機を持って行ったので
これでだいぶ救われました。



松江の街を歩きましたがどこに食事できるお店があるのかさっぱりわからん・・(><)
あっちをうろうろ、こっちをうろうろ・・・
せっかくなので松江ならではの物を食べたいのだが。
やっとみつけた和食のお店があったのですが、
中がまったく見えず、なんだか入りづらい、二人だったらなぁ・・(^^AA
一人旅ではこういう苦労があるんですよね〜
結局、僕が食べた物は、、『広島風お好み焼き』 なんでやねん!!(爆)
でも美味しかったですよ〜このときは広島に行く予定ではなかったので
食べたこと無い広島風お好み焼きを食べてみようと思ったのです。

ホテルに戻ってからホテルの温泉に入りました。
このホテルには展望風呂があり、地元の宍道湖温泉から源泉をそのまま引いているのです。
夜だったので宍道湖はまっくらでしたが、日中なら宍道湖が見渡せます。
この温泉にゆっくりと浸かったら腰痛がだいぶおさまりました(^^)
やっぱり温泉はいいねぇ〜

翌朝、ホテルのレストランで朝食。
さすがに宍道湖沿いだけあって、しじみの味噌汁が付いてます。
このしじみの味噌汁が絶品でした♪

朝食を済ませて身支度をし、チェックアウトするときにホテルの従業員の方に
「これから松江観光するのですが、どこかにいい駐車場ありませんか?」
と、聞いたところ、
「お昼すぎぐらいまでなら当駐車場に停めていただいて結構ですよ^^」
と、嬉しいお言葉☆
いや〜このホテルは親切で最高!!こんなに感じのいいホテルに泊まったことはありません。
ニューアーバンホテル別館、また来たいです(^^)

松江城まで近いので歩いて行きました。
心配した天気も心配無し☆
趣のある城内を歩いて天守閣まで行きました。



立派なお城です。
みなさんは天守閣のてっぺんになぜ鯱(シャチ)が飾られているかご存知ですか?
答えは、火事になったときに鯱が水を撒いてくれるという願いがこめられているからなのです。

天守閣を見てからへるんの道を歩いて、小泉八雲記念館へ向かいました。




〜小泉八雲をご存じない方のために〜

小泉八雲、1850-1904 本名(パトリック・ラフカディオ・ハーン)ヘルンと言う愛称も。
ハーンの発音がヘルンと聞こえたことから付いたそうです。
イギリス出身で日本に興味を持ち、アメリカでの新聞記者の後、松江中学校の英語教師となった。
この時病気の看病をしてくれた小泉節子と結婚。日本に帰化し、東京帝国大学の英文学講師、
早稲田大学の講師を勤めた。狭心症により東京の自宅で亡くなった。
紀行文作家・随筆家・小説家・日本研究家の顔も持ち、古くから伝わる日本各地の怪談や奇談を収集し、
自らの解釈にしたがって情緒豊かな物語に仕立て上げ、『怪談 (kuwaidan)』として一冊にまとめた。
『耳なし芳一』『雪女』などが有名である。



記念館の中には小泉八雲が使っていた物などが飾ってありました。
写真を撮ることができないのが残念。
その中に、小泉八雲が日本に渡ってきたときに持ってきた大きなカバンがあったのですが、
これを持ってどんな期待で日本に渡ってきたのだろうと思いをはせました。


記念館の前にあった小泉八雲の遺髪塔。

小泉八雲記念館を出てからすぐ前にあるおみやげ屋さんに入った。
ここでは松江の名物である『ぼてぼて茶』がいただけるのだ。

ぼてぼて茶とは松江藩主・松平不昧公が鷹狩の際、空腹しのぎに味わったといわれる食べ物。
茶の花を入れて煮出した番茶を熱いうちに茶先で泡立て、
その中に赤飯、高野豆腐、煮豆、漬物などを入れて食べる。
泡立てるときに「ぼてぼて」と音がすることから、この名が付いた。

このお店では店内の奥に堀川沿いに抜けられ、そこにあるテラスでお茶がいただけるのだ。
僕はここで美しい堀川の景色を眺めながらぼてぼて茶を頂いた(^Q^)



美味しい番茶の中にぼてぼてと添え物の煮豆などを入れていただくと
控えめながらも番茶の中に煮豆の甘さや漬物の味が感じられほっとする感じだ(^^
不昧公もこの景色を見ながらいただいたのだろうね。

お茶をいただいた後お店でおみやげを選んでいると店員のおばちゃんが
天皇陛下が来たときに出したお菓子が美味しいですよと薦めてくれた。
これを試食するとほんとうに美味い!
他にも美味しいお菓子があるのでセットで購入(笑)
松江は京都・金沢と並ぶ和菓子も美味しいところで有名なのでみなさんも寄った時は買ってみてね(^^
店員の方がどこから来たのですか?と聞いてきたので石川から来たと答えて他にもいろいろ話した。
そして午後から出雲大社へ行くことを伝えると
「出雲大社は縁結びの神で有名ですからいいご縁があったら今度はお二人でまた来てくださいね」
と言ってくれた。店主の方もとっても感じの良い方でしたよ。
僕は「そうなったら絶対にまた来ます^^」と言いました。

おみやげやさんを後にして堀川沿いを散策しながら普門院を目指した。


堀川沿いに咲く綺麗な花

普門院は小泉八雲の怪談、『小豆洗い橋』の舞台で有名。
小さな橋が普門院の前にあり、そこが怪談の舞台になっている。



〜怪談「小豆洗い橋」〜

豆洗い橋というのが外堀にかかっている。木製の小さな橋だ。

 夜な夜な女の幽霊が現れ、小豆を洗う音がするという。
松江の城下では、この橋を渡る時には「杜若(かきつばた)の唄」をうたってはならぬという言い伝えがあった。
唄った者は、必ず恐ろしい災いが振りかかる。
ある日、その噂を耳にした武士が「そのような戯言、拙者信じる訳には参らぬ」と
未明に小豆洗い橋に出かけ、杜若の唄をうたった。
橋を渡り終わった。
何事も起こらなかった。
「所詮、小心者どもの単なる流説にすぎぬ」
内心ホッとしながら家にたどりつくと、屋敷の門前に女が立っている。
「主人のお使いにて、これをお届けに上がるよう仰せつかりました」と女は言って、
文箱をその武士に渡した。
「これは夜分にかたじけない」武士が礼をのべ、視線を戻した時には、すでに女はいなかった。
手にはさっきの文箱が乗っている。
文箱にしては、ずしりと重い。
「文箱とはきっかいな」武士は、文箱の房飾りのある紐をほどいた。
漆蒔絵のふたを開ける。と、そこには、長男 新之介の生首がおさめられていた。
まさかと思い屋敷内に駈け込むと、無残にも首をかき切られた新之介の死体が横たわっていた。



今はそんな恐ろしい話があったとは感じられない普門院

普門院を後にしてから堀川沿いの和食レストランに入った。
ちょうどお昼時だったのでこの日の日替わり定食、「キスの天ぷら定食」を注文。
これが最高に美味かった(^Q^)こんなに美味いキスの天ぷらは食べたこと無い。
宍道湖の恵みに感謝しながら松江を後にした。


つづく


おまけ

〜 小泉八雲の『飴を買う女』〜

昔、中原町に水飴を売っている小さな店があった
水飴とは麦芽で作った液状の飴で
母乳のない乳児や病人に与えられるものである

ここへ毎晩、一厘ずつ水飴を買いに来る女がいた
女は、やせて青白く、物言いも細かった
気の毒に思った店のものが子細を聞こうとするが
女は何も答えない

不審に思った飴屋の親父はある晩、女の後をつけてみた
すると女は,中原の大雄寺の墓場あたりで姿を消した
気味が悪くなった飴屋はそのまま帰った

 あくる晩、女はまたやって来た、だか、飴は買わず
飴屋をじっと見つめ、何も言わずに手招きする
こわごわと飴屋が女についてゆくと
行き先はやはり大雄寺の墓場

だが、ごく最近埋葬された墓のあたりで女の姿が消えた
とたんに元気のいい赤ん坊の泣き声・・・・・

驚いた飴屋は、近所の人を呼び集め
泣き声のするあたりの墓を掘り起こしてみた
すると、そこには毎晩、水飴を買いにきた
見覚えのある女の骸があり
かたわらで、差し出された提灯の明かりに泣き止んで
手足をばたばたさせながら、微笑んでいる赤ん坊がいた
そばには水飴を入れた茶碗も


 女は、お産間近で死亡
埋葬されてから子供を生み
毎晩、水飴を買ってきて育てていたわけだ

 ハーンはこの話を
「母の愛は死よりも強いのである」と結んでいる



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